「人間は、なぜ“ことば”が必要なの?」
人間なんだから、ことばを話せて当たり前!と思わずに、ちょっと考えてみてください♪
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さて、今回から言語教育の学びがスタートです!
第1回目は、言語教育を学ぶ前に、なぜことば(言語)が必要なのかというお話です。
モンテッソーリ教育では、ことばを話したり、文字を書いたり読んだりできるようになることを「ことばの獲得」と言います。
ことばの獲得が必要な理由は二つありますが、共通する点としては『人間として生きていくにあたって必要不可欠だから』です。それでは、一つずつお話していきます。
その1・コミュニケーションの手段として必要だから(人間関係の構築)
1つは、コミュニケーションの手段として必要だからです。
人間は、魚の赤ちゃんみたいに、産み落とされたら潮の流れに身を任せて成長していく生き物ではありません。最初はお母さんや家族、それから保育園の先生やお友達、大人になっても上司や同僚・・・と、さまざまな人間関係を形成しながら社会の中で生きていきますね。その中で、協力し合ったり調和を保っていくためにはコミュニケーションが必要です。そのための道具として「ことば」が使われているのです。
すでに「ことば」を獲得している私たちは、違う言語を話す人とコミュニケーションを取る場面を思い浮かべてみてください。私は数年前にアメリカのモンテッソーリ小学校に見学に行き、現地の小学生が自分のクラスを英語で紹介してくれるという場面がありました。一生懸命に説明してくれる彼女に「私もこれ好きだよ」などと伝えたいことは頭に浮かんでも、それを「ことば」にすることができず、お互いの想いを満足に理解することができませんでした。親子でも同じですよね、子どもがまだ言いたいことを「ことば」にできないうちは、お互いにもどかしい想いをします。
人間は「ことば」を獲得することで、自分以外の人間とコミュニケーションができ、互いを理解することでより良い関係を築いていきます。だから、『人間として生きていくために必要不可欠』なのです。
その2・思考の道具として必要(認知、知性の発達)
もう一つは、思考の道具として必要だからです。人間は、「ことば」によって考えることをします。「お昼は何を食べようかな~?」「あれ?家の鍵閉めたっけ?」なんて、声を発さなくても頭の中ではいつも「ことば」が行き交っていることでしょう。(私は思考が声に出てしまう“ひとり言”タイプです笑)
また、「ことば」を獲得することにより、人から聞いた話や本に書いてあることを読んでイメージしたり、そこから得た情報をもとに考えたり、知識を得ることもできます。
この出発点は直接体験(食べる、見る、触る、嗅ぐ)です。直接体験である具体から、写真や絵などの半抽象、抽象的な「ことば」へと進むことで思考の道具としての「ことば」が獲得されるのです。
だから、モンテッソーリ教育では、この直接体験をスタートとして、言語教育が行われます。
人間は「ことば」によって考えることで、問題を解決したり、共に生きる人と一緒に考えたりしてきました。だから、『人間として生きていくために必要不可欠』なのです。
言語の敏感期がある理由
このように『人間として生きていくために必要不可欠』だから、言語の敏感期が子どもに現れるのです。
“敏感期”のお話をした回でもお伝えした通り、「運動の敏感期」「感覚の敏感期」「秩序の敏感期」、そして「言語の敏感期」は、0~3歳の乳児期に現れる敏感期ですが、これらは人間として生まれた子どもが人間として生きていくのに必要な力に対して現れます。
つまり、誰が教えたわけではなくとも、「ことば」の獲得が自分に必要なものだとわかって生まれてくるのです。まさにこれが、全ての子どもが持つ自己教育力ですね。
まとめ
「ことば」の獲得がなぜ必要なのか、伝わりましたでしょうか?次回は、「ことば」を獲得するために現れる、言語の敏感期について詳しくお話します。
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